散骨は昔からあった?天皇と万葉集に残る歴史

古代の記録から日本の葬送文化を読み解く
古代の史料には、火葬した遺骨を山野へまいたと読める記録が残っています。
淳和天皇や万葉集を手がかりに、散骨の歴史と現代までの変化を解説します。
この記事はこんな方におすすめ
1.【古代】史料に残された散骨の記録

散骨は、現代になって初めて生まれた葬送方法ではありません。
古代の史料には、火葬した遺骨を墓へ納めず、砕いて山野へまいたと読める記録が残っています。
その代表的な事例として知られているのが、平安時代の淳和天皇です。
📌 淳和天皇が遺した薄葬の意思
淳和天皇は840年に崩御しました。
朝廷の出来事を記した歴史書『続日本後紀』には、天皇が生前から大規模な山陵を造らないよう求めていたことが記されています。
さらに、火葬した後の骨を砕き、京都の西山にまくよう命じたとされています。
✔ 大きな山陵を造らないよう求めた
✔ 火葬後の遺骨を細かくするよう命じた
✔ 遺骨を京都の西山へまくよう遺した
薄葬とは、墓や葬儀を必要以上に大きくせず、簡素に行う考え方です。
淳和天皇の遺命も、現代の自然志向による散骨というより、豪華な山陵を避ける薄葬の意思が強かったと考えられています。
📌 現代の海洋散骨とは背景が異なる
淳和天皇の事例は、現在の海洋散骨と同じものではありません。
現代では「海が好きだった」「お墓を残したくない」「子どもに管理を任せたくない」といった理由から、散骨を希望する人も増えています。
一方、淳和天皇の散骨は、葬送を簡素にして大規模な墓を造らないという意向に基づくものでした。
| 比較項目 | 淳和天皇の事例 | 現代の散骨 |
|---|---|---|
| 時代 | 平安時代 | 主に現代 |
| 場所 | 京都の山中 | 海や山など |
| 背景 | 薄葬の意思 | 承継や本人の希望 |
| 方法 | 骨を砕いてまく | 粉末化して散骨 |
※古代の散骨と現代の海洋散骨では、社会的な背景や実施方法が異なります。
📌 「日本最初の散骨」とは断定できない
淳和天皇の事例は、日本の散骨史を説明する際によく紹介されます。
ただし、これより前に散骨が行われていなかったことを証明する史料はありません。
そのため、「日本で最初の散骨」と断定するのではなく、古代の散骨について確認できる代表的な記録として紹介するのが適切です。
約1200年前に散骨の記録があるからといって、散骨が日本で途切れることなく続いてきたとは限りません。
史料から確認できる事実と、現代から見た解釈は分けて考える必要があります。
淳和天皇の記録から分かるのは、古代の日本でも、遺骨を必ず墓へ納めていたわけではないということです。
墓を造らず、火葬した骨を山へまくという選択が、平安時代の公的な史料に残されています。
2.【万葉集】亡き妻を山へ託した歌

古代の散骨を考えるうえで、もう一つ興味深い記録があります。
奈良時代に成立した日本最古の歌集『万葉集』です。
巻第7には、亡くなった妻を詠んだとされる歌が収められています。
📌 「山辺に撒く」と詠まれた万葉集の歌
『万葉集』巻第7・1415番歌には、次の歌があります。
玉梓の 妹は玉かも
あしひきの 清き山辺に
撒けば散りぬる
さらに1416番歌には、異伝として次の歌が収められています。
玉梓の 妹は花かも
あしひきの この山蔭に
撒けば失せぬる
いずれも作者は分かっていませんが、亡くなった妻を詠んだ挽歌として知られています。
📌 「撒けば散りぬる」は何を意味するのか
注目したいのが、1415番歌の「清き山辺に撒けば散りぬる」という部分です。
この歌は、亡き妻の遺骨を山辺にまいた情景を詠んだものと解釈され、古代の散骨を紹介する際にも取り上げられています。
現代の言葉に近づけると、亡くなった妻を玉にたとえながら、山辺にまくと散っていった様子を詠んだ歌と読むことができます。
✔ 万葉集には「山辺に撒く」という表現が残っている
✔ 亡くなった妻を詠んだ挽歌とされている
✔ 古代の散骨を考える史料の一つとされている
この歌が残っているからといって、奈良時代に散骨が広く行われていたとまでは断定できません。
和歌には比喩や象徴的な表現も含まれるため、当時の葬送方法全体を示す資料とは分けて考える必要があります。
📌 淳和天皇より前にも散骨を思わせる記録
第1章で紹介した淳和天皇が崩御したのは840年です。
一方、『万葉集』は8世紀に編纂された歌集であり、そこにはすでに「山辺に撒く」という表現が残されています。
そのため、淳和天皇の事例を「日本最初の散骨」とすることはできません。
万葉集には「山辺に撒く」と詠まれた歌があり、平安時代の『続日本後紀』には淳和天皇の骨を砕いて山中へまいた記録があります。
性質の異なる史料ですが、古代の日本に遺骨を山野へまく行為があったことを考える手がかりになります。
現代の海洋散骨と、奈良・平安時代の葬送をそのまま同じものとして扱うことはできません。
それでも、遺骨を必ず墓へ納める方法だけが古くから続いてきたわけではないことは、こうした史料から見えてきます。
3.【変化】遺骨を墓へ納める文化の定着

古代には、遺骨を山野へまいたと読める史料が残っています。
では、現在のように「遺骨はお墓へ納める」という考え方は、いつ広まったのでしょうか。
その背景には、宗教や社会制度の変化がありました。
📌 寺院とお墓の結び付きが強まった江戸時代
江戸時代になると、幕府は寺請制度(檀家制度)を整え、人々はそれぞれ特定の寺院に所属するようになりました。
葬儀や供養も寺院が担うことが増え、遺骨をお墓へ納める形が各地で定着していきます。
もちろん、地域や身分によって違いはありましたが、「家のお墓を守る」という考え方が広まった時代でもありました。
✔ 寺院との結び付きが強くなった
✔ 家単位で供養する文化が広まった
✔ お墓へ納骨する形が定着していった
この時代は、葬儀や供養そのものが大きく変化した時期です。
散骨だけが姿を消したのではなく、家のお墓を中心とした供養が社会に広く根付いていきました。
📌 法律は散骨を想定して作られたものではない
戦後に制定された墓地、埋葬等に関する法律では、墓地以外へ遺骨を埋蔵することは認められていません。
一方で、散骨について直接規定した条文はありません。
現在も、散骨は節度を持って行うことが前提とされ、周囲への配慮や土地所有者の権利などを尊重することが求められています。
| 時代 | 供養の主な変化 |
|---|---|
| 奈良・平安時代 | 散骨を思わせる史料が残る |
| 江戸時代 | 寺請制度の広がりと家墓の定着 |
| 戦後 | 墓地埋葬法が整備される |
| 現代 | 散骨も供養の選択肢の一つになる |
📌 お墓の文化も時代とともに変わる
現在では、お墓を建てる人もいれば、樹木葬や納骨堂、海洋散骨を選ぶ人もいます。
供養の方法は時代に合わせて少しずつ変化してきました。
古代の散骨と現代の海洋散骨は同じものではありませんが、「遺骨を墓へ納める方法だけが日本の葬送ではなかった」ことは、歴史から読み取ることができます。
4.【現代】散骨が再び注目された背景

長い間、お墓へ納骨する方法が主流となっていました。
しかし近年は、散骨を供養の選択肢として考える人が少しずつ増えています。
その背景には、社会や家族の形の変化があります。
📌 散骨が注目されるようになった3つの理由
現在、散骨を希望する人が増えている理由として、次のようなものがあります。
✔ お墓を継ぐ人がいない
✔ 管理費などの負担を残したくない
✔ 自然の中で眠りたいという希望
少子高齢化や核家族化が進み、お墓を維持することが難しい家庭も増えています。
そのため、供養の方法を見直す人が増え、散骨も選択肢の一つとして知られるようになりました。
現在は、お墓を建てる人もいれば、樹木葬や納骨堂、散骨を選ぶ人もいます。
どれか一つが正しいというものではなく、それぞれの事情や希望に合わせて選ばれています。
📌 社会に知られるきっかけとなった出来事
1980年代後半から1990年代にかけて、自然葬への関心が高まり、散骨は新聞やテレビでも取り上げられるようになりました。
俳優・石原裕次郎さんが海を愛していたことから、散骨が話題になったことも、社会的な関心を集めるきっかけの一つだったといわれています。
その後、自然葬を考える団体の活動などを通じて、散骨は少しずつ認知が広がっていきました。
| 以前 | 現在 |
|---|---|
| お墓への納骨が中心 | 供養方法を選ぶ時代 |
| 家で墓を守る考え方 | 家族構成に合わせた供養 |
| 散骨を知る人は少数 | 選択肢の一つとして認知 |
📌 散骨にも守るべきルールがある
散骨は自由に行えるものではありません。
周囲の生活環境や土地所有者への配慮をはじめ、地域の条例やガイドラインを確認しながら実施することが大切です。
現在では、こうしたルールを守りながら散骨を行う事業者が増え、供養の選択肢として定着しつつあります。
5.【歴史】古代の散骨と現代との違い

散骨は、近年になって突然生まれた供養ではありません。
古代の史料には、遺骨を山野へまいたと読める記録が残されており、淳和天皇の遺命や万葉集の歌も、その一例として現在まで伝えられています。
一方で、その後の社会制度や供養文化の変化によって、お墓へ納骨する形が広く定着しました。
そして現在は、少子高齢化や家族構成の変化を背景に、樹木葬や納骨堂、海洋散骨など、新しい供養の選択肢が広がっています。
供養の方法は時代によって変化してきました。
古代の散骨と現代の海洋散骨は同じものではありませんが、遺骨を墓へ納める方法だけが日本の葬送ではなかったことは、史料から読み取ることができます。
📌 この記事のポイント
✔ 古代にも散骨を思わせる記録が残っている
✔ 江戸時代以降は墓へ納骨する文化が定着した
✔ 現代は供養方法を選ぶ時代になっている
散骨の歴史を知ることは、「お墓か散骨か」を決めるためだけではありません。
日本では時代ごとに供養の形が変わり、その時代に合った方法が選ばれてきたことを知るきっかけになります。
これから供養について考える方も、まずは歴史や制度を正しく知ったうえで、自分や家族に合った方法を選ぶことが大切です。
※この記事は、歴史資料や公的資料をもとに作成しています。
史料の解釈には複数の見方があるため、本記事では現在広く紹介されている資料をもとに解説しています。
東京や関東近県で海洋散骨をご検討でしたら、 お気軽に海洋散骨オフィス一凛へご相談ください。
より多くのお客様の声はこちらからご覧いただけます!
→ 海洋散骨オフィス一凛のGoogle口コミはこちら
散骨についてご不明な点がございましたら、 お気軽にご相談ください。






























